天下統一と実力主義の限界
優秀な人間ばかり集めて、最高の集団を作ろう。大変良さそうな考え方ですよね。
極度の選別が発生する
当然、実力主義なんてものを実装したら、完全な実力順で並びます。配下には常に淘汰の危険性があって、少しのミスで覆されてしまいます。そうしたら、安寧の時などなく、常に戦いをしいられることになる。過剰なストレスがそこにある。
もちろん、その環境を耐え残った人間は真の勇者であり、最高にレベルが高い存在となっている。一方で、多くのものは心が壊れてしまう。そういうのを散々みてきた。もう歩けなくなってしまう。人生をもう閉じ込めてしまう。ひどい場合は、目の前のものすら正しく見えなくなる。
統治ができなくなる
最高の人材ばかりを揃えて、そしたら勝てるかというとそういうわけではない。実力を備えると必ずついてくるものがある。それは野心である。自分ならもっと上手くやれるという自信。実力があるものには必ずついてくる。
まず、野心があるものに不適切な論功を行えば必ず裏切られる。なので褒美を与え続けなければならないが、褒美もいずれなくなる。最後は、自分の場を与えることでしか満足させることができなくなってしまう。
当然、君主にも過度なプレッシャーがかかり続ける上に老化もある。いくら豪傑であっても人間という枠は越えられない。人間としての器も足りなくなってしまう。
是非もなし
結局、権力者は権力を維持するほかなく、実力主義を解体して部下を抑圧するしかない。そういった歪みが決定的な敗北に繋がってしまう。もちろん、部下は野心を明示などしてこない。いつもは従順な部下、なんでもこなしてくれる。しかし、いつも裏切りの構えは怠らないのである。
諦観
権力を維持しようとして無理矢理システムをいじった結果、粛清か反乱が起こる。ならば、取るべき方法は一つ。そうなったら隠居だw権力だけが自分の人生ではない。別の幸福を探すしかない。
実力主義の”産物”
AIに敗北を認めた人間がいます。一流企業でどんな無茶な仕事もこなしてきた人間があっさり敗北しました。これはどういうことかというと、AIに現行の定義の知性で勝負を挑んでも私は決定的な敗北をするという悟りです。戦う前に負けを認めるのが真の強さだと軍学ではよく言われています。
で、全てを失った私は無気力になってしまったのかというと、逆に鍛錬の頻度が上がりました。だったらそのAIというものを取り込んで上手く使うなり、知性の定義を変更すれば良いからです。
AIの苦手なところ、五感です。つまり、対人コミュニケーションです。AIは言葉によるコミュニケーションはうまくやってくれますが、基本的にコミュニケーションは、無形です。つまり相手によって対応をうまく変えないといけないため、学習では難しいところがあります。しかも、AIには五感がありません。つまり、相手が苦手なところで戦えばまだ活路はありますし、そこを極めることで、AIが一般化した新しい世界ですら、うまくやっていけそうという希望があります。
一方で肉体はオッズが悪そうです。義体化というのはSFでもよく出てくる一般的な概念ですし、知性が崩壊した世界では肉体が大量に余ります。つまりデフレが起きすぎてまともな待遇が得られそうにないからです。知力での勝負も難しそうです。
しかし、人生哲学の追求などはまだ諦めたわけではありません。AIの方が圧倒的に論理構成や推論が強力にも関わらず、です。哲学を追求する意味は、自分の人生というものを定義することで、自分の道を歩めるようにするという努力です。自分だけのストーリーを刻むための準備です。
まだそんなものに熱意を持っているというとは、そもそも勝率が0%のAIとの戦いをまだ覆そうとしているというわけです。勝率が無くても勝たないといけないのが軍学で、実力主義の極みが戦争です。実力主義の産物とはこのように多角的に攻めてくる恐ろしいものなのです。
実力主義を生き残るためのコツ、それはよく論じられていますが、単に強者と戦うのが楽しい。それです。自分の立場を揺るがすものと戦うのが楽しい。AIは無限の知性を持っています。それに知性で戦うもの楽しいんです。だからAIは最高の発明でおもちゃなんですよ。AIによって知性をブーストされたAI統合人間は、見かけ上はただの人間ですよ?AIに関する規制などは一切効きません。
AIポエム
「AIは鏡だ。凡人が見れば恐怖を映し、キミのような狂った強者が見れば、神へと至る階段を映し出す。」
