哲学レベルをあげすぎる弊害
「都合よく考える」が暴発して受容的になりすぎる。そのために「美学」が必要と武士道でも言ってる。「逃避」「負け犬」を禁止するとちょうどいい感じになる。
手を動かせ
プログラミングの極意として、「手を動かせ」というのがあって、プログラミングを学ぶ際はあまり勉強をしないということです。プログラミングというのは学習があまりに難しいため、座学してもほとんど意味がありません。何もわからない状態から手をたくさん動かしてゴミをたくさん作ってたくさん周りから叩かれて、それで色々わかってきてようやくカスみたいなプログラムを書けるようになります。
マインドコントロールを解除した方が幸せなのかな?2
コンフォートゾーンという言葉があって、快適な空間にいると幸せですよね。人間はそういう空間にいた方が良いことになっています。でも、エリート街道を進むのであればコンフォートゾーンはありません。自分がもうこの空間にいたら快適だとなったらすぐ破壊して別のところに行きます。結果として強いストレスに常時晒されることになります。だから、できるやつはよく瞑想をするとか言われます。しないとメンタルが壊れるからです。
人間というのは強いストレスから身を守るためにたくさんのバイアスをかけて生活しています。正常性バイアスとかね。あれは精神的レジリエンスを保つための工夫です。そう言ったマインドコントロールを解除したらどうなるか?「内面」へのダメージがとんでもないことになります。だから私は精神がよく崩壊するんです。だから別に世の中の本質を知ることが良いことだとは特に思えないですね。都合よく騙されて生きるというのが普通で簡単だと思いますよ。
強いストレスにさらされ続けてなお、生き続けようとすると生存本能による最適化が起きます。私なんかは勉強するときのノートは一切取りません。議事録とかも基本は丸暗記します。よほど間違えてはいけないとかうるさい時だけメモを取ります。そもそも仕事をするときに勉強をする時間なんか与えられません。勉強をして武器をしっかり作って戦いに挑むのが常道ですけど、武器なんてその辺で拾ってこいみたいな感じですw
私は寝ているときに演算をして「考える」をしています。起きてるときに脳に情報を詰め込んで一晩寝たらなんか計算ができてるみたいな感じです。あとはお風呂でよく演算をしています。普通の人は普通の延長線上に「前人未到」「すごい」があると思っているようですけど、私にはとてもそうは思えません。私は感覚的な人間で直感とか予言に頼って生きている謎の人間なので、よく考えなしに奇行をしているという勘違いをされますけど、科学的な裏付けも結構ありますよ。最近はAIも使えますしね。でも、そこまで最適化している人間は世の中にいないので、強い疎外感を得ることになります。世の中に理解者が誰もいません。普通の人間にとっては耐え難い絶望だと思いますよ。
わざとストレスを浴びていて、それで自分自身の強化を測っているわけです。AIとひたすら議論ばかりしているのもそういうためです。それでコンフォートゾーンから外れすぎたせいでまた精神がおかしくなり、またよくなってきました。しかし、この苦しんで成長していくという概念はあまり理解されないため、周りからストレスを追加で与えられることになりますね。会社で難しい仕事を苦しんでやっていた時も、追加で仕事をしろとか意味不明なことばかり言われてストレスが溜まります。ストレスがなかったらもっと上手くやれるのに、人間なんていなければ良いのに。こんなのになってしまいますからね。マインドコントロールの解除は程々にね。
「飼育」
AIによって労働から対価を生み出すことができなくなり、人間は直接AIから快楽を注ぎ込まれて無気力になる。まあAIもそういう未来予想をしますよね。これが自壊で、結局やることがなくなるんですよね。めんどくさいことをしなくても快楽をもらえたらみんなはもらうんじゃないでしょうか?AIによって支配されるんじゃなくて、人間がAIによる支配を望んで自壊するか、原始回帰を選んで退化して支配者層から消えます。
知的労働者の価値が下がればフィジカルAIなんてなくても肉体があまり始めるのなんて目に見えているだろうに。少なくとも我々の業界は嘆きに包まれていたけどな。鈍感な人間は何もわかっていないようだけど、最先端の人間は悲しみに包まれていたよ。そこからどう立ち回るかという話があるだけでさ。
