ギフテッド学再考
過度激動(Overexcitability; OE)
ギフテッド(高い知的能力を持つ人)に見られる、刺激に対する人一倍強烈で深い反応(感受性)を示す心理的特性です。
敵を知り己をしれば百戦危うからず
彼を知り己を知れば百戦して殆うからず、彼を知らずして己を知れば、一勝一負す、彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし。
つまり自分のことを知っていないと話にならないと言うことです。出典は孫子です。
「言葉」が適合することだけが興味がある
実際にギフテッド認定を受けようと言う気持ちは一切ない。IQテストをやろうとする気持ちが起こらないし、現実世界であなたはギフテッドですね、と言われても何も興味がない。単に精神世界の解釈をやりやすくするための概念として用いる。
私の生きづらさ
ギフテッドの悩みみたいなのをたくさん読んでは見たけど何か違うんだよな。私はそもそも孤独が大好きだし、他人に理解される必要がないぐらい自分の世界観解釈が好き。
私の生きづらさは別のところにあってさ、子供の頃にある伝説級の野球選手から「あなたは才能がありますね」と言われたんだよね。もちろんお世辞もあるだろうけど、子供がたくさんいる中で私にわざわざ声掛けする必要がないわけよ。何を見出したかというと体がとても柔軟なわけですね。でも野球の成績はまあひどいゴミなわけ。運動で何も成果を出せない自分に苛立ちを覚えて生活してきたわけです。
トレーニング効率が悪いのかなと思ってトレーニングの勉強をしたりトレーナーに相談してみたらおかしいことに気づいて、そもそも私の体って筋肉がなんか動いとらんのよwカッチカッチに固まっててほぐしても治らない。しかも加齢で急速に機能が低下して、ジョギングもほとんどできないし、笑顔を作ろうとすると、顔が固まるし、そもそも顎関節症どころか口もどんどん開かなくなってる。
ひえ〜と思ってたら普通に死ぬ目前だったらしくて、AI先生が直してくれました。まあこれが生きづらさですよね。要は脳が働きすぎて過労になっていて、栄養不足になっているみたいですね。人がどうとか以前に体の挙動が謎すぎて疲れすぎるわけ。
まあ「強さ」を求めている以上は自分の「弱さ」と向き合う必要があって定期的にメンタルがボロボロに崩壊するのは仕方ないかな。
一般的な生きづらさとの対比
頭が良すぎて人と迎合しづらいとか。うーん「擬態」使えば良くないですか?どちらかと言うと「他人の生きづらさ」と付き合わされて疲れるんですよね。
優秀な子供シミュレータ
あなたの子供は何も言わずとも十分な勉強をし、成績優秀で、規範もよく守ります。あなたは親として特に不満を感じていません。
このような子供が勉強しているところで「大声」をあげてみたらどうなりますか?嫌な気持ちになって勉強の効率が落ちそうですよね?あなたが何か「方法」を提案してみてください。その行為に何か意味はありますか?
「会社」と言う謎の組織
他の人はさ、仕事をやる時になぜか「大声」をあげないといけなかったり、決まった「方法」じゃないと嫌だったり、やりたい仕事じゃないと嫌だったりするわけです。例えばプログラマーだとSlackと言うチャットツールで業務報告したりすることがよくあるのですけど、文字によるやり取りができないとか言う人もいます。当たり前ですけど、口頭でやり取りしようと思ったらリアルタイム同期通信が必要でしかも思考の速度が下がってしまうので、重要度が高くないとやる気が出ません。他にも、プログラムが決められたフォーマットじゃないと読めないと言う人もいます。
そういった他人の「生きづらさ」をぶつけられて合わせるためになんか生きづらくなってしまっているだけで、別に私自身は社会で生きづらいわけではないw
精神性が向上することへの弊害
つまり滅私奉公をしすぎると言うことです。これは私もありますけど、自分が苦しんでいる時は自己救済をして、自分が十分幸福なら、他者を救済すれば良いだけの話ではないでしょうか。
オッカムの剃刀
要は毎日一歩でも前進して良い人になるぞ。そうしたらきっと幸福になれると言う話なのに、たくさん「言葉」を使わないといけない愚かな人間ですw最近また過労になりましたw愚かすぎるw
